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「だれも僕のことを理解してくれない」ー。10代、20代、それに30代前半ぐらいまで、これは僕の口癖だった。小学校のころから物事を深く考えるタイプだった。何か疑問がわくと自分の世界に入り、一人で考えた。そして何か思いつくと、思いついたことを前後の説明もなしに口に出した。「若いうちに苦労しろっていうのはウソだよね」


なんの説明もなく、それを口にするので、周りはキョトンとした。「また始まった。湯川がまたわけの分からないことを言っている」。そう思われるのはまだいいほうで、こういうことを年長者に言うと、その場で説教が始まった。今なら、より多くの人の理解を得られるような表現を選ぶこともできるし、何よりも今の僕の年齢から、周りの人は頭ごなしに僕を否定しない。


でも若いころは、とにかく批判された。説教された。


自分のほうが深く考えている。自分の主張には一理ある。そういう自信はあったのに、自分よりも物事を考えず、ただ世間に流されている人たちから批判されるのは、ずいぶんと悔しかった。「そっちは何も考えてないじゃないか。自分で導き出した結論じゃないじゃないか。なぜそこまで偉そうに上から目線で説教してくるんだよ」。心の中にしこりが残った。


友達は多かったけど、僕のことを理解してくれる友達はほとんどいなかった。グループのリーダー的存在のやつが、僕の変わった考え方に興味を持って僕と付き合ってくれた。そのリーダー的存在の友達のおかげで、僕もそのグループに入れた。別の友人がこう言った。「みんなは内藤(リーダー格の友人)に一目を置いている。その内藤が湯川に一目置いているので、みんな湯川と付き合ってるんだな」。的確な分析だと思った。


僕を守ってくれるようなリーダー格の友人がいないような状況下では、僕は徹底的にバカにされ、説教された。


自分の主張が理解されないことに対するいらだちがあることは分かっている。バカにされたくないという気持ちの存在にも気づいている。それには気づいているんだが、思った以上に過去の傷が奥深く自分の中に残っているように思う。その傷が、一部の人たちへの攻撃的な表現になるんだと思う。「閉塞感のある君へ。こっちへおいでよ。 」という本も、やさしい言葉使いではあっても、自分の頭で考えず古い価値観に流されている人たちへの強烈な当て付けなんだと思う。心の傷からくる復讐なんだと思う。こういう気持ちで書いているので、「こっち」へ来ようと思う人なんているはずもないと思う。


「閉塞感のある」人の心に響く文章を書くには、まず自分が自分の抱える傷を癒すべきだと思う。この傷を癒さない限り、僕は次のステージには上がれないと思う。


誰にも愛されなかったと思っていた若いころの自分へ。僕は君のことを理解するし、見守っているよ。周りが理解してくれないことも、ときにはある。でも、あんまり深刻に考えないで。どんなときも、僕は君の味方だよ。だからもう傷つかないで。


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