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「好きなことを仕事にできるのは最高の幸せ」ー。ずっとそう思ってきたし、実際に自分のこれまでの人生の大半は好きなことを仕事にできて本当に幸せだと思ってきた。(新聞記者になった経緯)なので、自分の子供には「好きなことを仕事にしたほうがいいよ」って薦めている。


でも好きなことって仕事にしないほうがいいんじゃないだろうかって思うようになった。


その前に「好きなこと」「天職」の定義なんだけど、「自分が心からやりたいこと」でかつ「社会のためになること」としておく。人間には怖れがあって、その怖れに人生をコントロールされていると、自分の心からやりたいことが見えにくくなる場合がある。例えば「自分の尊厳を軽視されるのではないか」という怖れ。平たく言えば、ばかにされたくないという気持ち。その気持ちが大きくなりコントロールが効かなくなると、見栄なのか、本当にしたいことなのかが分からなくなる。


心からワクワクすることで、しかもそれが社会のために役立つのであれば、それは天職。これを仕事にできれば、本当に幸せなことだと思う。20世紀にも、一部の人は幸運にもこれを仕事にできて豊かな人生を送れた。僕自身もかなりラッキーな半生だったと思う。


でも21世紀になりインターネットが普及したことで自分のやりたい事が比較的簡単にできるようになった。僕の領域である文章による自己表現もブログを使ってだれでもできるようになった。音楽、映像も同じように表現者は増える一方だろう。また何か大きなことをする場合も、これまでは会社を起こすしかなかったようなことでも、ネット上で仲間やボランティアを簡単に集められて、各種無料ツールを使ってかなりのことができるようになってきた。ちょっとした時間の隙間にできるようになってきた。


このため多くのプロの領域が侵食され、プロが成立しづらくなってきている。


それでもプロとしてやっていきたいというのであれば、かなり気持ち的に無理をしないといけなくなる。僕の場合なら、「もっと原稿を書かないといけない。じゃないと食っていけないから」と無理に駄文を乱発し、その結果、評価を落とすことになりかねない。


なので思うんだけど、21世紀って、天職を収入源にしないほうがいいんじゃないだろうか。


心からやりたいことに関してはお金をもらわない、と覚悟を決めて生きていくほうがいいんじゃないか?気持ち的に無理することもないので、いい仕事ができる。なによりやっていて楽しい。私利私欲がないので、多くの人が支援してくれる。なので、もっと大きな仕事ができるようになる。好循環だ。


その結果、その周辺にビジネスが発生し、生活できるようになる。


ちょうどオープンソースソフトウエアのようなものかもしれない。オープンソースのエンジニアは、仲間と1つの目的に向かってコードを書くのが楽しいので無償でコードを書いている。でもオープンソースソフトウエアのサポート事業など、その周辺にビジネスが発生して、エンジニアは生活できている。


でもエンジニアのアイデンティティは、オープンソースソフトウエアのほうにあり、周辺のビジネスにあるわけじゃない。


そんなことを友人の勝屋久さんの講演を聞いて、ふと思った。勝屋さんは「プロフェッショナルコネクター」を名乗っている。人と人をつなげるのが仕事。でもそこからは一切お金をもらっていない。そうした活動が評価されて、講演やアドバイザーの仕事がくるので、それが収益源になっている。人をつなげる「仕事」の方は、この人とこの人とをつなぎたい、というインスピレーションが起こらない限りやらない。たとえお金をもらえたとしても、つなぎたくなければつなげたくないという。なのでお金はもらわないことにしているのだそうだ。


20世紀は、収入源にアイデンティティを置いて、収入源を名刺に書いた。でも21世紀は、収入源じゃないことにアイデンティティを置いて、名刺に書くようになるんじゃないか。


好きなことをしていれば、収入源はあとからついてくる。もしくは、会社勤めという収入源があり、しかも好きなこともできるのであれば、会社を辞める必要はまったくないと思う。ただ会社の仕事が忙し過ぎて、自分のやりたい事、天から与えられた使命を全うできないのであれば本末転倒だろうけど。