「好きなことをして生きろって、煽りすぎ」。僕に対してではないんだけど(多分、いや、ひょっとしてら僕にも向けられてるのかも)、最近、そんなふうな話を続けざまに何回か聞いて、ちょっと違和感を感じた。なんか怒っているから。


どうして怒ってるんだろう。


「好きなことして生きるべき」という意見の対極に「我慢して会社にしがみつけ」があるんだと思うけど、僕はどちらかと言えば前者の意見。だからといって会社にしがみついている人、好きなことをあきらめて生きている人に対して怒りは感じない。見下してもいない。人それぞれの事情があると思う。特に50歳を超えてから、自分の体力の低下や能力の低下を受けて「このまま逃げ切りたい」という人たちの気持ちは痛いほど分かる。自分さえ我慢すれば家族の生活を守れる、と考える人に対しては、敬う気持ちさえある。若い人たちの間には、責任ある立場にありながら逃げ切ろうとしている50代を糾弾する意見もあり、その気持ちも分からないではないけど、僕自身は彼らを糾弾できない。


まあ「会社にしがみついて生きる方法」と題した雑誌の特集を見て「すごいな」とは思ったけど。 でも、怒りに近い感情はなかった。


「好きなことをして生きろ」っていう説に、怒り、もしくは何らかの感情が生まれるって、どういうことなんだろう?


怒る人の心の中に、何かしこりがあるんだろうか。他人って自分の問題を映し出す鏡。利害関係もないのに他人に対して怒りを感じる場合は、何か自分の中に解決できていない問題がある場合が多い。


いろんな意見があっていい。絶対いい。マスコミなら時間、スペースの制限があるから、中立を目指さないといけないんだろうけど、ソーシャルメディアには制限がないんだから、いろんな意見が出るべき。その中で、自分が共感する意見をシェアしていけばいいと思う。「好きなことをして成功した」という意見だけじゃだめと思うのであれば、「好きなことを目指したんだけど、うまく行かなかった」「好きなことをするのは、実は大変」って意見を淡々と述べたり、シェアしていくだけでいい。怒る必要はない。


世直しとして愛を持ってだれかを叱りたいのなら、人の意見に左右されてばかりの自主性のない生き方を叱るべき。「雑誌にこう書いてあったから、ブログにこう書いてあったから、その通りにしたら失敗した」って嘆くヤツに対して、「人に依存するな」「自分の頭で判断しろ」って愛を持って叱るべきじゃないのかなあ。問題は、好きなことをして生きている生き方にあるのではなく、自分の頭で考えずに生きる生き方にあるんじゃないかなあ。