最近人工知能(AI)の講演をしたり意見交換をすることが増えているんだが、少なくない数の人たちから「AIって確かに大きな変化のように思うけど、でも自分には関係なさそうだなあ」という意見をよく聞く。「大手企業や、天才エンジニアにとっては飛躍の時代かもしれないけど、普通のベンチャー企業にとっては打つ手がなさそうですよね」と言うベンチャー経営者もいた。「天才は再現性がない。AIってせっかくのチャンスなんだけど日本はこのチャンスを活かせないかも」と嘆く投資家もいる。


▶今はインフラ整備のフェーズ

確かに今は一部の天才エンジニアを抱えるベンチャー企業や資金力を持つ大企業が活躍するフェーズなのかもしれない。天才エンジニアと対抗して最先端の人工知能技術を磨き続けるのは大変だし、大企業と資金力で勝負するのも無理だ。

今はどのようなフェーズなのかというと、インフラ構築のフェーズなのだと思う。米国の西部開拓時代のゴールドラッシュに例えると、鉄道が敷かれ、採掘に使うツルハシなどの道具が製造されたフェーズだ。一攫千金を夢見てサンフランシスコに集まった若者たちに、じょうぶで破れない作業着を売って大儲けしたのがリーバイ・ストラウス社で、その作業着はジーンズとして世界中に広まったのは有名な話だ。

IBMは高性能コンピューターWatsonに医療情報を蓄積し、それをアプリ開発者たちにバックエンドで提供し始めた。ソフトバンクのロボットpepperもWatsonのサービスの一部を利用している。pepperがWikipediaに載っているような情報を何でも知っているのは、Watsonとつながっているからだ。IBMは、Watsonをいろいろなアプリやサービスのバックエンドで動くインフラにするつもりなのだ。

また米国では、人工知能をASPとして提供するベンチャー企業も数社登場している。6月中旬に取材してきたwise.ioというカリフォルニア州のベンチャー企業は、マーケティングに特化した人工知能、機械学習のASPを提供している。クライアント企業は、関連するデータをwise.io社に提供し、「この商品を購入する人の属性は?」「30代男性にはAの広告とBの広告のどちらが効果的か」などといった質問を設定するだけ。あとはwise.ioの機械学習システムがデータを使って学習し、答えを出してくれる。同社には既に大手自動車会社や、大手ECサイトなどがクライアントとして名前を連ねているという。あるECサイトでは試験的に自社のデータをwise.ioに提供し、より売り上げが上がるようなサイト表示の方法を依頼したところ、このECサイトのデータサイエンティストよりも、wise.ioの機械学習システムのほうが高いパフォーマンス結果を出したという。

「今後データサイテンティストの仕事は、どんどん少なくなっていくでしょうね。われわれのようなサービスを利用することで、人工知能や機械学習の仕組みを詳しく理解する必要がなくなるからです。それよりも人工知能や機械学習のシクテムにどのような質問をすべきか、売り上げを上げるには人工知能をどう利用すべきか、などといったことを考える力が必要になってくるんだと思います」とwise.ioのJeff Erhardt氏は語っている。

日本を代表するAIベンチャーのプリファード・ネットワーク(PFN)の西川徹社長も人工知能はインフラになり、今後はそのインフラにどのようなサービスを載せるのかの勝負になると言う。「われわれはネットワークに人工知能を搭載し、インフラを構築していきます。その上に載せる各種アプリを、多くのサードパーティに開発してもらいたいと思っています」と西川氏は言う。

確かにゴールドラッシュで最も儲かったのはリーバイ・ストラウス社などのインフラ側かもしれないが、実際に金塊を掘り当てた採掘者も多かった。人工知能インフラが構築されたあとには、多くのビジネスにとって多くのチャンスが開かれるのだと思う。


▶正のスパイラルを作れ

さて人工知能がインフラになると仮定した上で、どのようなビジネスをその上に構築すればいいのだろうか。人工知能と言っても、人によって定義が異なる。急速にできるようになったこともあるが、できないこともまだまだ多い。そんなマダラ模様の中で、共通するビジネスの形って存在するのだろうか。

あるとすれば、それは「正のスパイラルを生むビジネス」ということになるのだと思う。いったん正のスパイラルを生んでしまえば、後発は簡単に参入できないからだ。

人工知能の進化を受けて急速に発展しそうな領域の1つに、バイオの領域がある。東大発の遺伝子検査ビジネスの株式会社ジーンクエストや脳波検査ベンチャーのニューロスペース株式会社など、バイオ関連のベンチャー企業を何社か取材したが、彼らは全員、この正のスパイラスのことを既に理解していた。

遺伝子や脳波の検査を提供することで、データが集まる。膨大なデータが集まれば、人工知能を使ってそれを解析することで新たな知見が手に入る。今まで分からなかった遺伝子や脳波と疾患との関係が分かるようになるかもしれない。睡眠中の脳波を検査することで、睡眠とダイエット、睡眠とスポーツに関する新たな知見が見つかるかもしれない。新たな知見をベースに、よりよい製品やサービスを提供できるようになるだろう。よりよいサービスが提供できれば、さらに多くのユーザーが集まり、さらに多くのデータが集まる。そしてさらに多くの知見が手に入る。さらに多くのユーザーが集まる。これが正のスパイラルだ。

これまで医療品やサービスに関する検査や臨床試験は、数百人から数千人規模の被験者の協力を得て実施するものがほとんだだったが、検査デバイスの低価格化やウエアラブル化の波を受けて桁違いに多くの被験者が集まる時代になっている。Apple Watchだけでも300万人近くのユーザーの日々の心拍データを収集できている。ここまで多くのデータを集めることはこれまで不可能だった。また、ここまで多くのデータの解析には当然人工知能が必要となる。医療、ヘルスケアの領域は、人工知能によって今まさにブレーク寸前の領域だと言えるだろう。


▶遺伝子検査は既にレッドオーシャン

正のスパイラルが確立すれば後発は簡単に参入できないと書いたが、参入が不可能なわけではない。

先行企業がユーザー獲得に手間取っているようであれば、よりよいサービスをより安く提供することで後発が先行企業を一気に抜き去ることはもちろん可能だ。

バイオベンチャーLPixel株式会社の島原佑基氏は「遺伝子検査はいずれ大手が無料で提供するようになると思います。もう既にレッドオーシャンだと思います」と語る。個々人の遺伝子情報が分かれば、その人にあった医療やヘルスケアサービスを提供できる。ものすごく大きな市場が待っている。その大きな市場を狙って、大手企業が資金力にモノを言わせて遺伝子検査を無料で提供してくるようになるだろう、と島原氏は読むわけだ。確かに、Googleなどの大手が無料で遺伝子検査を提供してきても不思議ではない。

ではなぜ今、Googleが無料で遺伝子検査を提供しないのだろうか。それはまだ遺伝子検査では、疾患との関係が十分に分かっていないからだ。「遺伝子だけでは何も分からない。そういうことが分かったんです」と、7月から東京大学からハーバード大学の研究所の移籍することになっている生物学者の佐々木浩氏は言う。「今の遺伝子検査サービスでは、1個の遺伝子で確実に病気になるというケースのものは見つけることはできますが、それ以上のことは今のところほとんど分かりません。特定の病気に関する検査としては、コレステロール値や中性脂肪値を調べる検査と同様のものであり、今のところはそれ以上のものではないように思いますね」。

身体のメカニズムは複雑で、1つの遺伝子がすべてを決定するわけではないことが分かってきた。DNAだけではなく、RNA、タンパク質、細胞、臓器など、生命ネットワーク全体のメカニズムがよりよく解明されないと疾患を予測できないのだという。そしてこの領域にブレークスルーを起こすのは、人工知能だ。「人間の手に負えない量のデータを、人工知能や機械学習を使って解析し、パターンを見つけるという研究が今、非常にホットになっています。特にDNAに加えてRNAとか、その周辺のタンパク質のデータなど加えたビッグデータを人工知能で解析しようという動きが盛んです。研究としてはホットですが、まだ産業にまでは降りてきていません」と佐々木氏は言う。

GoogleやDeNA、ヤフー・ジャパンなどが遺伝子検査ベンチャーに出資しながらも、無料で検査を提供するまでに至っていないのは、この領域の研究の進化を待っているからなのかもしれない。動かざること山の如し。機が熟すのをじっと待ち、いったん人工知能がブレークスルーを起こせば、風のごとく動き、火のごとく市場を奪うつもりなのかもしれない。


▶今ある技術でユーザーを獲得する

だれもがその可能性の大きさに気づき、機が熟すのを大手が待っているような領域は、ベンチャーにとって参入は難しい。反対に可能性があるのかないのか分からないような領域にこそ、チャンスがあるのかもしれない。そういう領域が、人工知能の進化を受けて大きく成長する可能性があるからだ。

例えば月経記録アプリのルナルナ。生理日が来たらそれを記録するだけで、次の生理日や排卵日、妊娠しやすい時期や、ダイエットにおすすめの時期などを予測して知らせてくれるというサービスだ。特に最新のテクノロジーを使っているわけではないが、既に500万ダウンロードを記録する人気アプリになっている。

うつ病の行動記録アプリ「うつレコ」も、特に最新のテクノロジーを使っているわけではない。そのときの気分を、笑った顔や困った顔のイラストを選んで記録するという非常に単純なアプリだ。イラストは、うつ病患者の間で人気の本「ツレがうつになりまして」の作者として知られる細川貂々氏が手がけた。関係者によると、このイラストが人気となってダウンロード数を伸ばしており、医療関係者からも注目されるアプリになっているのだという。

「こうしたアプリがAIなどの最新技術を搭載すれば、すごいことになると思います」とLPixelの島原氏は指摘する。これまでに蓄積したユーザーのデータが別のデータと連携し、それを人工知能を使って解析することで、新たな知見が生まれる可能性があるからだ。検査デバイスやウエアラブルコンピューターの低価格化、高性能化の波を受けて「今年ぐらいからさまざまなヘルスケアのサービスやアプリが登場してくると思います。実用的なものが登場して普及していくのは来年くらいからでしょうか。でも最終的に力を持つのは、データを持っているところ、使い勝手のいいソフトを持っているところだと思います」と同氏は予測する。使い勝手のいいアプリでデータを既に持っている「ルナルナ」や「うつレコ」は非常に有利な立ち位置にいるわけだ。

そして使い勝手のいいソフトは、最終的にコミュニティを形成する可能性があるという。「そうなると、コミュニティのメンバーでいつづけたい、とユーザーが思うような要素を持っているところが強くなると思います。ヘルスケアは勉強と同じで孤独な側面があるので、ゲーム性の要素が入ってくるかもしれませんね」と島原氏は指摘している。

人工知能のインフラが確立したあとは、アプリやサービスの使い勝手が勝負を決める。ソーシャルな機能や、ゲームの要素が重要な役割を果たすようになるのかもしれない。ウエブ製作会社やアプリ開発者が得意とする領域だ。



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「すみません。バイオベンチャーというくくりで見ないでもらえませんか?バイオ、宇宙、ロボット・・・。カテゴリー分けするのってナンセンスですよ」。取材に訪れたあるバイオ(失礼)ベンチャーの若き経営者は、開口一番こう切り出した。生意気とも受け取れる表現だが、僕は生意気な若者が大好きなので、ついつい話し込んでしまった。僕自身は情報を人に伝えるのが仕事なんでカテゴリー分けは不可欠だけど、確かに経営者が自分で自分を枠にはめる必要はないと思う。というより、はめないほうがいい。「今はチャンスだらけ。起業しない人の気持ちが分からない」とこの経営者が言う。人工知能がいろいろな業界の勢力図を塗り替えようとしている。自分自身に枠をはめさえしなければ、確かにチャンスだらけなのかもしれない。


21世紀はデータ経済の時代になるといわれている。工業化社会が始まる前に都市部の土地を買い占めた者が有利になったように、今後利用価値が高まるであろうデータ領域に正のスパイラルを構築した者が、これからは有利になるのだと思う。正のスパイラルは今からでも構築できる。いや、今でないと構築する意味がないかもしれない。都市部に人口が流入してから土地を買い占めるのが困難だったように、人工知能インフラが確立してからでは、特定のデータ領域を押さえるのは非常に困難になると思われるからだ。


TheWave湯川塾28期のテーマは「AIが変えるバイオ・ヘルスケアビジネス」。文中に出てきた企業の経営者や担当者が講師を務めてくれることになりました。楽しみです。まもなく応募を締め切りますので、お早めに。