kindness



ときどき、心にふと誰かの顔が思い浮かぶことがある。そのうちの何回かに1回は、その人にFacebookメッセージを送るようにしている。特に言いたいことがあるわけではないので、スタンプを送るだけの場合も多い。

でもその僕からのメッセージがとてもタイムリーだと言われたことが何度かあった。「30分前に彼にフラれたんです」というケースもあったし、重い病気を宣言されたというケースや、「父が15分前に息を引き取りました」という話もあった。

僕達はだれもが、心の奥の細い糸でつながっているのかもしれない。耳をすませば、心と心を結ぶ糸の振動が聞こえるのかもしれない。






知ってる人も多いと思うが、僕は長い間、劣等感に悩まされていた。劣等感の跳ね返りが、自信過剰な言動や生意気な態度になったり、攻撃的な発言になったりした。今でも、劣等感が完全になくなったわけではないと思う。

一言で言うと僕は長い間、とても「嫌な奴」だったんだと思う。友達も少なかった。そんな僕でも、少数の人は僕にとても優しくしてくれた。

僕が30代のころに新聞記者としての取材のいろはを教えてくれたM先輩は、そんな数少ない優しい人の一人だった。M先輩は僕と違って、自分と人とをまったく比較しなかった。偏差値教育の悪影響をまったく受けずに、他人も認め、自分をも認めることができる人だった。だから僕の弱さも、受け入れることができたのだと思う。大臣を取材するときも、ホームレスを取材するときも、人と接する態度はまったく同じ。萎縮もしないし、上から目線もなかった。

世俗的な成功を求めるわけでもなく、だれもが憧れるスター記者でもなかったが、僕は彼の生き様から多くのことを学んだ。他人との比較の中で一喜一憂し、もがき続ける自分。M先輩のような生き方にこそ答えがあるのかもしれない。とくダネ獲得競争で疲弊しながら、ふとそんな風にも思った。

幸福な家庭の素晴らしさもM先輩から学んだ。M先輩と奥さんは、いつまでも恋人気分が抜けないような間柄だった。一姫二太郎をもうけ、絵に描いたような幸福な家庭だった。何度もお宅に呼んでいただいたが、そこにいるだけで僕までもが幸福に包まれた。

職場が変わり、M先輩と仕事をすることがなくなったが、会社内でM先輩の元気な姿を見るたびに、心に火が灯った感じがした。

しばらくM先輩を見かけなくなったので、彼の部署に出向いてみた。「病気で何ヶ月も会社を休んでいるんだ。癌らしいよ」。そんなときに、M先輩の奥さんの訃報が入った。

訳が分からず、M先輩を病院に訪ねた。もう末期で余命は半年ということだったが、悲壮感はまったくなかった。にこやかに、これまで通りの話ぶりだった。奥さんは、M先輩のいないこれからの人生に絶望し、自ら命を絶ったのだという。

死後の世界は信じていないということだったが、妻と自分の死を静かに受け入れているようだった。表情はとても穏やかだった。

「死ぬ前に、うまいラーメンをもう一度食べたいよ」、笑顔でそう語ったM先輩。最後の最後まで、自分らしく自然体の人だった。

夫婦ともに50代。早過ぎる死だった。







昨日、実家に帰省し、母親が見ていた懐メロの番組で、だれかが「野風増」という歌を歌っていた。M先輩がカラオケでよく歌っていた歌だった。


「お前が二十歳になったら、酒場で二人で飲みたいものだ」「いいか男は、生意気ぐらいがちょうどいい」





どちらかと言えば控えめで目立たない性格のM先輩と違って、息子さんは小学校でもサーカークラブでも人気者だった。わんぱく盛りの息子さんの成長がうれしくて仕方がなかったんだと思う。M先輩は、お酒が何よりも好きだったので、息子さんと酒を飲み交わす日を楽しみにしていたのだろう。

ふと気になったので、もう成人している息子さんにFacebookメッセージを送ってみた。「元気ですか?別に用事はないのですが、お父さんがよく歌っていた歌が流れたので、メッセージを送ってみました」

返事がきた。「思い出してくださって、ありがとうございます。本日でもう7年も経ちました。短いような長いような何とも言えない心境です。今移動中なので、あとでこの歌を聞いてみます」



M先輩の命日だった。知らなかった。偶然?



もし偶然でないのなら、僕達はみんな心でつながっているのかもしれない。生きている人の心ともつながっているが、死んだ人の心ともつながっているのかも。

M先輩は、僕に何を伝えようとしたのだろうか。僕との心のつながりを通じて、どんなメッセージを息子さんに伝えたかったのだろう。「夢を持て」というメッセージなのか、「見守ってるよ」というメッセージなのだろうか。

単なる偶然かもしれない。でも偶然に思える出来事に心を向けることで、そのつながりを感じることもできるし、人生の深みを味わうこともできる。事実、僕は今回のこの「偶然」のおかげで、M先輩を思い出し彼のやさしさの中にもう一度浸ることができた。人生で何が大事なのか、彼から学んだことを再確認できた。偶然かどうか、科学的に証明できるかどうかなんて、どうでもいいと思う。

僕らは、だれも一人じゃない。みんな心でつながっている。それでいいんだと思う。