自動走行車


自動車の未来について何人かの人と話してたら、どうやら世間一般の感覚と僕の感覚が微妙に違うらしいということが分かった。なのでこの際、文章ではっきりと書いておきたい。

自動車を自分で運転する時代は、間違いなく終る。

ただ問題はいつそうなるのか。技術的にはすぐにもそんな時代が来てもおかしくないが、日本を含む先進国では大きな反発を受けて意外に時間がかかるのではないかと思う。



▶「自分で運転したい」は自己中心的

自動車はすべて自動走行車になり、街中を自動走行車が走り、アプリを使って好きなときに自動走行車を呼び出すようになる。車を自分で運転することは趣味とみなされて、特設のサーキット場や観光道路以外で、車を自分で運転することは禁止されるようになると思う。

こういう未来がいつ来るのか。技術的には今でも可能なので、政治からの横槍がなければ10年以内にそうなると思う。ただ自動車産業を始め、タクシー業界、宅配業界、公共交通機関などに大きな打撃を与えることになるので、雇用確保の観点から政治の横槍が入り、ゆっくりとした導入になるのではないかと思う。

なぜそう思うのかというと、自動走行車のほうが絶対に安全だからだ。2つの目と耳で状況を判断しなければならない人間のドライバーと比べて、自動走行車は自車やほかの車、道路、信号機などに設置された何百、何千というセンサーからの情報を総合して判断が下せる。自動走行車に「死角」はない。「神」のような視点を持つわけだ。

人間と違って自動走行車は何時間運転しても疲れないし、注意散漫にならない。眠くもならないし、飲酒の誘惑に負けることもない。

自動走行車のほうが圧倒的に安全なのだ。

「機械だから故障する。ハッカーが侵入して操作する恐れもある。どうすればいいのか」という反論がある。セキュリティ技術は向上するだろうが、100%安全というわけには確かにいかないかもしれない。でも年間5000人が交通事故で死亡する現状よりも、格段にましな状態になると思う。

また「自分で車を運転したい、というニーズもあるはず」という意見もある。そういう意見に対しては「5000人の命よりも、自分の趣味のほうが大事とでも言うのか」という反論が出てくことになるだろう。実際に先日読んだ米国のニュースサイトの記事には、「自分で運転したいという人は自己中心的」という主張が展開されていた。これまで自動走行車の記事の多くには、自動走行車の「光と影」の「影」の部分の話が必ず含まれていたものだが、「光」の話だけを集めて自動走行車を絶賛している記事を読んだのは初めて。早くも価値観変化が起こり始めているのかもしれない。少し驚いた。

そして「命より趣味のほうが大事なのか」というい主張に勝てる人はまずいないと思う。なので究極の未来は、喫煙者が喫煙コーナーに追いやられたように、自分で車を運転したい人は、そういう人専用の観光道路やサーキット場に追いやられる運命だと思う。すべての車に自動走行機能が搭載されるようになるだろうから、そういう専門の道路に行くまでは自動走行が義務付けられ、サーキット場の中では自分で運転できるようになるのだと思う。
 


▶宅配を好きな場所で好きなときに受け取る

自動走行車が中心の世の中って、どんな形になるのだろう。

まず自動車の台数は減るだろう。自動車産業にとっては痛手になる。タクシーも自動走行車になるので、運転手は不要になる。ネットで買い物したら、商品は好きなときに好きな場所に届けてもらえるようになる。玄関到着5分前にはアラートの通知があり、玄関前に出ると自動走行車の宅配便が到着し、トランクが開く。トランクの中には商品が入っているので、それを受け取る。宅配はそんなサービスになり、宅配便の運転手は不要になる。

駐車場は不要になる。商業施設などは駐車場の一部を車寄せに変更する必要はあるだろうが、遊園地やショッピングモールなどの広大な駐車場は不要になるだろう。

交通渋滞はかなり解消され、スモッグも減少するだろう。

事故死亡者の減少を筆頭にいいことづくめが予想されるが、ただ時代はその方向にスムーズには移行しないだろう。
 


▶21世紀に「新たな雇用の創出」はない

大量の雇用が消滅するからだ。政治が介入し、時代の変化を遅らせようとするからだ。

「テクノロジーは雇用を消滅させない。別の職種を生むからだ」という意見がある。この意見はある意味、正しい。確かにこれまではそうだった。内燃機関というテクノロジーは、江戸時代の駕籠かきという職種を消滅させたが、汽車の運転手という新しい職種を生んだ。

しかし21世紀は違う。もし仕事を、お金を稼ぐ手段だと定義すれば、人工知能とロボットの進化で大量の雇用は消滅するが、お金を生む手段としての新しい雇用はほとんど生まれてこない。新しく雇用が生まれてきたとしても、その数をはるかに上回るペースで、20世紀型の雇用が消滅していく。そして新しく生まれた雇用でさえ、いずれ人工知能とロボットに取って代わられることになるからだ。

なぜならお金が儲かる、つまり産業的価値のあるすべての領域に、起業家はいずれ人工知能とロボットを投入してくるからだ。反対にお金の儲からない領域には、投資しようというインセンティブは働かない。つまり儲かる仕事は人工知能とロボットに次々と侵食され、儲からない仕事だけが人間に残る。多くの人が、金にならない行為に従事するようになる。これが21世紀社会が向かっている方向だ。

この問題を探求している数少ない経済学者である早稲田大学の井上智洋氏によると、最終的には、人工知能とロボットが富を創出してくれて、人間は好きなことだけをやっていればいいユートピア(理想郷)へと向かうとみられる。だが、そこに到着するまでには、持つ者と持たざる者の格差が拡大するディストピア(ユートピアの対極の世界)になるかもしれない、という。

どうディストピアを乗り越えるのかは、これから頻繁に議論されるようになるだろうが、まずは雇用を守るために、変化の「スピード調整」が始まるのだと思う。

変化のスピード調整は先進国のあらゆる業界で起こるようになるだろうが、最初のスピード調整は、どうやら自動車関連の産業になりそうだ。その辺りの話を東洋経済オンラインに寄稿したので、興味のある方はぜひお読みください。



【お知らせ】 この記事はBLOGOSメルマガ「湯川鶴章のITの次に見える未来」の無料公開分の記事です。